『幸せ』
今、何ができるのか・・・。
自らが産み出した葛藤も今だけは忘れたい。
星空を眺め、鈴虫の鳴く声に耳を傾けると優しい気持ちが降り注ぐ。
『幸せ』ということ。
『幸せ』を望めば、その望んでいる状態が現実化する。
それ故、『幸せ』には辿り着けない。
『幸せ』であることに気付けば、その状態が現実化して『幸せ』そのものになる。
『幸せ』を望むのではなく、すでに『幸せ』であることを想い出す。
そのことを想い出したならば、後は『幸せ』であることに感謝する。
森羅万象、全ての命が『幸せ』であるように。
優しい気持ちが心に舞い降りるように。
揺れ動く時
自らの考えを表現すること。
相手に自分が伝わること。
何かを隠しても仕方ないから。
自らを脚色しても仕方ないから。
何も隠さないで生きる。
そんな自分が好きになれたから。
でも、素直に生きることによって誰かが悩むとしたら・・・。
他人を苦しめてまで、素直になる必要はありますか?
悩みの種を蒔いてまで、ありのままで生きますか?
仮にそんな事実があったとしても、本当に幸せですか?
誰かに苦しい思いをさせるならば、自分が我慢すればいい。
ただ、それだけのこと。
そんな思いをした経験も、そんな日々も、いつかはきっと自らの原動力になる。
他人の土台となる心を持ち合わせていますか?
目の前の選択は本当に二つだけですか?
自らの道は本当に一つだけですか?
夏へと移り往く穏やかな季節の中、自らの心と向き合う。
そんな、とても静かに揺れ動く時。
描く心
経験という定規を使い、推し量った先の未来を想像していくことに何の意味があるのか。
自らが制限しない限り、何も制約はない。
自らが限界を設けない限り、何も限界はない。
まだ何かにすがりたいですか。
景気、不景気に左右されたいですか。
強者、弱者に分かれたいですか。
善悪の狭間で、揺れ動きたいですか。
貧富の差で、右往左往したいですか。
時の権力者により、好き勝手に塗り替えられた歴史を踏襲し、曇ったままの心で繰り返される選択。
いかなる過去を抱えていようとも、どんな未来が約束されていようとも、今という一瞬を凌駕することはない。
全ては自らが選択した結果。
好きな絵筆、好きな鉛筆、好きな絵の具、何を使っても構わないはず。
今という一瞬を大切にし、自由自在に描く。
ありのままでいること、自らに対して正直に生きること。
これ以上でもなく、これ以下でもない。
誰の為でもなく、何の為でもなく、ありのままであればいい。
越える時
ただ、漠然と起きているわけではない事へと想いを馳せる。
目の前の出来事を理解することは無理であろう事。
現実という事象を無条件に受け入れる事は、難しいであろう事。
今、何が起きているのか。
今、何が起きようとしているのか。
相対的な存在がなければ、何一つとして認識の烙印を得ず、自らを形成する材料を創れない。
目的などは何でも良く、自らの想いを貫くのみ。
事実を理解することは、難しいであろう事。
時を越える事は、難しいであろう事。
しかし、時は自らに与えられる。
そして今、そこを乗り越える時。
何を見るのではなく、何を描くのか。
何を知るのではなく、何を感じるのか。
幸も不幸もない。
入り口も出口もない。
成功も失敗もない。
あるのは自らの想いのみ。
塵ほどのものから、世の中のありとあらゆるものまで、感謝の心を運ぶ。
ありがとう。
芽吹く命
何故、険しい道筋があるのか。
心地良い程に流れる意図とは背中合わせに、不可抗力なまでの利害に埋もれてゆく。
抵抗すればする程、目の前の感謝は姿を隠し、負の輪廻が手に余り自らでは抱えきれず放り出す。
我を立脚点とすることにより、ありとあらゆる理不尽は縦横無尽に連なっていく。
自らを立てたい心を捨て切ること。
世の中は逆さまであり、あべこべである。
春の前に、冬があるという事実。
冬の後にこそ、暖かい春が控えていることを心で知る。
寒さに震えていても、やがて暖かさに救われる。
傷を負っていても、いずれ痛みは和らぎ、穏やかさへと導かれる。
厳かなる凍結の彼方にこそ、暖かい春が控え、小さな樹木の芽が出はじめる。
その原理を否定するか、肯定するかは、自らにて決めるべきこと。

